『独服』という贅沢。コーヒーを豆から挽いて1杯ずつ丁寧に淹れるようになったら、人生が少し豊かになった話。
コーヒーを「淹れること」が大好き。
僕はとにかくコーヒーが好き。3歳の娘にも
「お父さんはほんとコーヒーが好きねぇ~」と言われるくらい自他ともに認めるコーヒー好き。
といっても、缶コーヒーは嫌い。
なぜなら『おいしいコーヒーを淹れること』が好きだから。
はっきり言って、豆からコーヒーを淹れるのはそれなりに手間だ。(正確にはコーヒーを点てる、と言うのだが話が逸れるので今回は淹れる、で統一)
手順を簡単にまとめると、
- お気に入りの豆とお気に入りの煎り方を探して、
- 挽き方は豆と気分に合わせて自分でミルして、
- 温度は豆や挽き方に合わせて87~91℃でコントロールして、
- はじめの蒸らすところに集中して、
- 丁寧にお湯を注ぐ。
手間暇かけてここまでやると、
- 豆がふわっと膨らんで、なんとも言えない期待感に満たされる。
- 心地の良い香りが一面に広がってくると落ち着きが次に襲ってくる。
- そしてようやく一口目。もちろん圧倒的に美味い。
という贅沢が味わえる。
この『独服』こそがコーヒーを淹れることの旨み。
お茶の言葉で『独服』という言葉がある。少し引用させていただくと、
自分のためにお茶をたてて飲むという考えもあります。これを、独服(どくふく)といいます。
それは自分を見つめることにつながる。慌ただしい日常を過ごす中で、つかの間茶碗を手に持って自分と向き合う時間にするのでもいい。(中略)そういう時間を過ごすだけでも日常の流れから自分を切り離すことができる。
「独服」によって自分と向き合う時間を作る--『茶』を書いた千宗屋氏(武者小路千家家元後嗣)に聞く | 読書 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
独服とは、自分と世間を切り離す時間。
自分のためだけのお茶(僕の場合はコーヒー)を淹れて、ただ1人で香りや旨みを味わう、ということ。
なんて贅沢でワガママな一時で、この独服があるだけで心が落ち着くし、落ち着いていられる気がする。
僕はこの独服をするためにコーヒーを淹れているところもある。
独服ノススメ。
当たり前だが、缶コーヒーは自動販売機をポチッと押すと出てきて、すぐ飲める。
でも僕はオフィスでも、手間はかかるがドリップするコーヒーを買って、お湯をゆっくり注いで飲んでいる。
もちろん、缶コーヒーよりおいしいし、コストもかからないという理由もあるが、ほっと一息つく時間 ― 独服とは程遠いがプチ独服―を味わうため、という理由がメインだ。
ただ単純にドリップするのではなく、安いコーヒーでも蒸らして、お湯を入れすぎないように淹れると味は変わる。そして、数分だがちょっと気持ちが落ち着く。
同じコーヒーを飲む行為でも、独服を意識すると、ちょっとだけ得している気がする。
大げさだが、独服によってほんの少しだけ人生が豊かになる気分になるよ、という話でした。ほんと、オススメ。
それでは、んちゃ。