もっと自分を売れ、自分を出せ、爪を出せ。爪を隠したままの鷹は、ただの鳥だ。
もっと名前を呼んで欲しいと思いませんか。
どうも、fkdです。
突然ですが、みなさんって不特定多数の人から名前を認識されることって好きですか?
有名人になりたいとかそういう意味ではなく、自分という人間のいいところをたくさんの人が知ってくれていて、さらに名前を知ってくれている、という意味で。
結構前にゴン中山さんが
「自分の名前を沢山呼んでほしいと思う人が減ってきているのではないだろうか」
的なコメントをしていたのですけど、僕は何故かその言葉が胸に刻まれてしまい今日に至ってます。
今回は、名前を呼ばれることについて書いてみます。(以下口語体で失礼)
自分の名前を誇張することは悪なのか。
自分がいいことをしたのならば、一生懸命アピールして、それを名前と一緒に認めてもらえばいい。
ゴン中山さんは単純に名前を呼ばれたいということではなく「人生は一度きりなのだから沢山の人に良い影響を与えて、幸せにすることは人間としてやるべきことなのではないか」という視点で先のコメントをしている。
誰しも誰かに喜んでもらって、自分を認めてもらうことは気持ちいいし楽しいはずなのに、何故かそれを積極的にやろうとすると『出しゃばり』とか『自惚れ屋』なんて言われてしまいがちだ。
結果を出したことがあれば、結果を報告するだけじゃなくて、「それをやったのは私だ!!」というところを強調すればいい。だって、事実だから。結果だけ残って、だれがやったのかわからなくなるのは、本当に不毛。
もちろん、鼻についた物言いや偉そうな態度は絶対NG。でも、そうでなかったら、手柄は150%誇張して表現すればいい。どうせ、伝わる時に50%くらい削ぎ落ちちゃうもの。
顔や名前を見たら「あ、例のお前ね」って意識してもらるくらいじゃないと、忘れられてしまう。
しかし、自分の実績と名前を自分だけで伝えようとすると、必ず歩留まりがおこる。リソースは限られているし、知り合いもそんなにいないし、前述の通り自分で自分のことを言うと嫌われがちだから。
となると、別の誰か(Aさん)から、別の誰か(Bさん達)へ自分のことを紹介してもらうことが必要。そのためには、自分のことをもっと知ってもらわなきゃいけない。
ここで、一つ考えなければならない。他人は、思ったより自分に興味がない、ということを。冷たく聞こえるかもしれないけど、僕はそう思う。だって、きっとたいていの他の人は、あなたが昨日どんな服を着ていたかすら覚えていないのだから。
会社の研修で外部の講師の方が「マネージメントのコツは、しつこいくらい同じことを繰り返すこと。顔を見たら『はいはい、お前ね』って思われるくらいにならないと忘れられる」と言っていたのが印象に残っているのだが、まさにそれだと思った。
自分の顔をみせたら、もしくは顔を見せなくても何かの拍子に思い出してもらえるようになってようやく、自分が売れたということになる。
自分の評価は、どこかの誰かが自分の名前を話してくれた時にようやく高まる。
僕は自分の知識を誰かに公開することが好きだ。だからブログもやっているし、お金にもならない講演も少しだけどしている。なんで大変な思いをしてまでやっているの、とよく言われる。
それは、きっとどっかの誰かが僕が書いたことや話したことを生かして『いい感じのアウトプット』を出して、どっかで評価してくれているんじゃないかと思うからだ。
実際、ブログや講演をしてから、沢山声をかけてもらえるようになった。会社では、マーケティングのことになったらとりあえずfkdに聞け、という流れが出来た。しかし2年間言い続けても、まだこれくらいだ。
爪を隠した鷹は、ただの鳥だ。
たった30年ちょっとしか生きていない中で、どれだけの人に影響を与えたのかわからない。
僕より若いのにはるかに多くの影響を与えているすごい人はたくさんいるし、うらやましいとも思う。偉くなりたくないけど、そういう人になりたいと思う。
あなたに爪があっても、それを見せないのならないのと同じだ。能ある鷹は爪を隠す、それは今となっては、なんとも古めかしい言葉だ。
ゴン中山さんの言葉そのままの通り、みんな、もっと自分の名前を呼んで欲しいと思えばいいのにと感じる。
お前の爪を、見せろ。
それでは、んちゃ。