僕が桜が嫌いな二つの理由。
桜が嫌い。
僕は桜が嫌いだ。
こんなことをいうと「変わり者だ」「非日本人だ」「風情がわかってない」なんて言われることが多い。
しかし、なんと言われようと昔から桜が嫌いなのだ。理由は大きくわけて二つある。
一つ目。散ったあとの地面が汚いのが嫌。
桜の散ったあとの地面が、とにかく汚い。
泥にまみれて、ぐちゃぐちゃになった花びらが無数に散らばる。店舗の方はほうきで集めてゴミ袋に入れなくてはならない。
椿や薔薇のようにポトリと花ごと落ちる姿や、菊や萩のように美しく静かに散る姿。迷惑をかけずに散る姿こそ美しく見える。
花が散ったあとの姿は、みんな興味ないのだろうか?見て見ぬふりをしているのだろうか。
本当に桜が好きなら、散ったあとの片付け運動なんていうのもあってもいいと思うのだが。
桜の散った後の姿は、風情が無いと思う。
二つ目。花見が嫌い。大して桜も見ず、飲みの大義名分にしているのが嫌。
別に桜をネタに花見をするのはいい。好き嫌いは当然あるので、桜を見ることが好きな人が多く存在するのは当たり前だ。
しかし、花見は桜だけのものではない。
- 吉野梅郷の梅まつり
- ひたち海浜公園のネモフィラの青絨毯
- 富良野のラベンダーの紫
- 国分寺のローズガーデンの色とりどりの薔薇
- 亀戸の藤棚から花穂垂れる藤
- 長谷寺の雨に濡れた紫陽花
- そして同じ桜でも富士やドイツ村の芝桜
上記の方が明らかに酒が進むと思う。別に花好きなわけでもないが、とりあえず桜より酒が進みそうな花見はたくさん思いつく。
しかし、そんなこと言うと『そういうことじゃない』とか言われるのだ。じゃあ、どういうことなのだろうか?
万葉集に沢山詠まれているから?いえ、萩と梅の方が詠まれてますよ。
花見の幹事を任される身にもなるべきだ。まだ花冷えの中、外で、たくさんの買い出しをし、片付けも責任もって行い、なんの得があるのだろうか。
桜の花見は、飲みのための大義名分と化しているのであれば、風情が無い。
咲いている桜は綺麗だとは思う。
ここまで書いておきながら、青空と桜の薄桃色のコントラストはとても綺麗だと思う。桜は1枚だと白いのに、たくさん集まると薄桃色になるのは素敵だ。
本当に桜を愛でている方はたくさんいるし、その方たちを否定するものではないのであしからず。
僕は桜が嫌い。それは、盲目的に桜は美しいものだと思い込んでいるこの風潮が嫌いなのかもしれない。目を向ければ、美しい花はいくらでもあるのだから。
この記事、全然共感してもらえなさそうだが、誤解を恐れずに書きました。笑
それでは、んちゃ。