いとこの突然死に思う。僕らに、後悔の先に感謝はあるか。感謝の先に反省はあるか。
※今回は、明るい内容ではないので最初に断っときます。
5/27木曜日、当然の訃報。
42歳のいとこの、突然の死だった。いとこは健康、とまでは言えなかったが、それでもあまりに突然な知らせであった。
悲しさよりも先に、何かタイミングが作れずしばらく会えてなかったので、驚きとともによく聞く「生前に会っておけば良かった」という『ありがちな後悔』をした。
今回は、そんな後悔だけの話ではなくて、この経験を元に感じた、「後悔の先に感謝はあるか、感謝の先に反省はあるか」という話をしたい。
後悔の先に、感謝はあるか。
後悔は、少なからずみんなするものだと思う。しかし、僕らは、「後悔だけで終わること」「同じ後悔を繰り返すこと」があまりにも多すぎる気がする。
後悔する時は、必ず『ああしておけは良かった』とワンセットだ。
そして、いつも僕達は、その後悔したことに対し、いちいち感謝をしないのだ。
なぜ後悔したことに感謝をしなければならないのか。
後悔なんてしないほうがいいに決まっているが、後悔するということは『もっとこうすればよかった』という具体的な改善案がある時なのだ。
改善案があるなんて、有難いし嬉しい事だ。だから、後悔できたなら感謝すべきだ。
つまり、後悔のあとの感謝は、具体的な改善案を意識することとも言える。
感謝の先に、反省はあるか
そして、後悔したあと感謝したとしても、その先に反省がないといけない。
感謝だけで満足する人は多いだろう。しかし、感謝したあと、自分は果たして『感謝したことが出来ているのか』を振り返ってみることは、しない人が多いのではないだろうか。
振り返る、つまり反省することではじめて、後悔し感謝したことをアクションプランまで落とし込める。
例えば、
- 友達に感謝したら、自分も同じことができるのか反省する。
- 配偶者が家事をやってくれたのなら、それに感謝し、自分もなにかできないか反省する。
- 子どもが例えば絵を書いてくれたのなら、それに感謝し、子どもに愛情を返せるよう反省する。
感謝の先に、反省はあるか。それは、感謝するだけの薄っぺらい人間にならないようにするために必要なことだ。
後悔の先に、感謝があり、反省があるか。
僕は死んでしまったいとこになかなか会いに行けず、会えずに終わった。もちろん、タイミングがなかなか合わなかった事実はあるのだが、何か言い訳を作って行けなかっただけだった。
またこの後悔を抱かないように、後悔に感謝し、反省し、早くなかなか会えなかったおばあちゃんに会いに行かないといけない。
後悔の先。
感謝の先。
そして、反省の先。
先にあるものが、大事なんじゃないかなぁ。
そんなことを思った、いとこの死だった。
それでは、んちゃ。