FKDのWEBマーケティングをツラツラ(マケツラ)

FKDのWEBマーケティングをツラツラ(マケツラ)

WEBマーケティングについてツラツラと書いていきます。

サンリオピューロランドを3,4歳児と楽しむ4つのコツ。

サンリオピューロランドって、何気に攻略が難しい。

どうも、fkdです。

さて、今回はマーケティングと途方もなく関係ない話をぶち込みます。笑

うちは4歳と0歳の娘がいるのですが(この記事アップ時点)、やはり女の子、たまにサンリオピューロランドに行きたいとせがまれて行くことがあります。

しかし、ディズニーやUSJと違い、サンリオピューロランドってなかなか正攻法がわからないんですよね。

ということで、何度か失敗を繰り返したんですが、つい先日理想的な過ごし方ができたのでそれを書いてみます。娘も疲れずに最高に満喫できたみたいで、

『また行きたい!けど満足したらしばらく経ってからでいい!』

といういい感じの満足感を示すコメントをいただきました。笑

ぜひ、3,4歳児の娘さんがいて、サンリオピューロランドに興味がある方はご参考ください。必ずや役に立つと思います。

どうぞどうぞ。

サンリオピューロランドの難しさとは?

さて、まずはなぜサンリオピューロランドの攻略が難しいのかを整理しましょう。

こういうアミューズメント施設だと、『いかに乗り物に乗るか』というところに焦点が行きがちです。しかし、言い方は悪いですがサンリオピューロランドの乗り物は期待外れ度が余りに高いのです。笑

その割に、マイメロードドライブなんて60分待ちはざら。待ったのにあまり面白くない…この時点で【乗り物に乗れば楽しめる】という発想で来た人々は、打ちのめされる訳です。

しかし、そうなったらどうすればいいのかがさっぱりわからないから、『歩き回って行き当たりばったりに過ごして疲れる…』というネガティブなループに陥ります。

さて、なんとなく難しさの想像がついたところで、そうならないサンリオピューロランド楽しめるコツを今回4つにまとめましたので見ていきましょう。

1.キャラグリーディングを徹底的に極めよう

サンリオピューロランドの1番の醍醐味、それは『キャラグリーディング、略してキャラグリ』です。

所定の時間に所定の場所に行くとサンリオのキャラクターと会えて、ぎゅーしてもらったり、話したり、写真が撮れる、というもの。

好きなキャラクターに会えて半端なく嬉しいのはもちろん、会えたキャラを知らなかったとしても直接キャラクターと触れ合えた瞬間に好きになります。娘も、大好きなプリンちゃんに会えた時、

「幸せすきてどうしよう…」

というこの上ない評価のセリフをこぼしていました。笑

ちなみに、やはり『誰がいつどこにくるのか』が重要ですよね。その情報は公式には発表されてないものの、Twitterに非公式ながら上がっています。

SPLグリーティング情報(非公式) (@splgreetinginf)のTwitterがめちゃくちゃ便利です。

SPLグリーティング情報(非公式) (@splgreetinginf) | Twitter
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このTwitterの情報はほぼ正確なので、この時間の20~30分前に所定の場所に並ぶと会えます。

注意点は2つ。

  • キャラグリスポットがわかりにくいのでわからなかったらスタッフに聞くことと。すぐ教えてくれます。
  • 30分で必ずキャラクターが入れ替わりますから、直前でキャラチェンジしてしまうこともよくありますので列の後ろになったら覚悟しておきましょう。

キャラグリをうまく楽しむだけでも、ぐっと満足感はあがるはずです。まず初心者には出にくい視点ですよね。

2.ご飯はサンリオピューロランド外で食べよう

2つ目は、ご飯。これは賛否あると思いますが、サンリオピューロランド内で食べると

  • 高い
  • それほど美味しくない
  • 何より結構並ばないと食べれない

という三重苦に苦しめられます。(ちょっと毒舌 笑)

しかし、サンリオピューロランドから3分ほど歩けばちょっとしたモールがあり、

などなど、充実のラインナップの飲食店が揃ってます。

そして、良心的なのはサンリオピューロランドは再入場可であること。手にブラックライトで浮き出る透明スタンプを押してもらうだけです。

12時台でも10~15分ほど並ぶだけでどこかの店では食事にありつけますし、当然専門店なので味も美味しい。気分転換にもいいのでご飯はサンリオピューロランド外で食べましょう。

ただし、ご飯やデザートと一緒に食器やグッズがついているものはお得なのでゲットしましょう。

3.パレードとショーは絶対見よう

サンリオピューロランドのパレードは、ディズニーに比べるとこじんまりとはしているのですが、その分全体が見渡せますしストーリー性も合って『綺麗なだけしゃなく楽しめる』ところがいいです。大人でも充分感動できますからね。

あと、ミニシアターみたいな施設で40分ほどのショーがやっているのですが、それもクオリティが高くてオススメです。

僕も毎回見るようにしていて、どちらも娘は食い入るように見ています。

こちらの注意点は、当然ながらいい席や場所で見ないと見にくいので、ある程度時間に余裕を持って席を確保しておくことです。

パレードは粘り強く場所を探せば、直前でもいいところがひょこっと空いていたりするので頑張りましょう。ショーは、5分前くらいに行くと立ち見になりがちなので注意。

4.9時半から15時くらいまで遊ぼう

最後は訪れる時間。

だいたい土日は9時くらいから19,20時くらいまで開いています。(その日によって変わるのでサイトをチェックしてください。)

しかし、オープン前後は結構並ぶのと、時間が経てばたつほど人が増えてきますので、割り切って9時半から15時くらいまでの参戦としましょう。

9時半にしたのは、9時45分くらいから小さい子が参加出来るイベントが始まるのでそれに合わせた時間です。

15時は、13時からのパレードが終わってからキャラグリに1,2個参戦してから、お土産を選んで帰るとそれくらいになります。

これくらい余裕を持って過ごすと子どもも疲れないですし、次の日にもダメージを残さないなど、気持ちにも余裕が出来ます。

この余裕が意外と重要で、それまで全力で遊べるようになりますし、余裕があればもう少し居ればいいのです。

サンリオピューロランドはきちんと楽しめばかなり面白い。

さて、いかがでしょうか。

サンリオピューロランドは、下調べをせずに行くと前述の通りイマイチな結果になることが多いと思います。

しかし、今回まとめたように過ごしてもらえれば結構楽しめると思いますので、ぜひ今度のお出かけの参考にしてください。うちは、先日上記のような過ごし方をし、キャラグリ5人、パレード、ショー、一部アトラクションとコンプリートしました。
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ちなみに、アトラクションもつまらないという訳ではないのでご注意を。キキララ、キティハウス、魅力的なアトラクションはありますから、ぜひ余裕があれば楽しんでください。

あと、私もまだまだ知らない魅力がたくさんあるので、勉強中。例えば、アニバーサリーカードを貰えば、スタッフやキャラクターからシールがもらえるのですが、このアニバーサリーカードは『サンリオピューロランドにはじめてきた記念』とか、どんな記念日にも使えます。アニバーサリーカードをコンプリートする、なんていうのも楽しいですよね。

今回はあくまで、初心者の子連れの方が楽しむコツ、ということでご認識を。

それでは、んちゃ。

コンテンツ制作で『社内の調整が難しい』とか『運用が入るから』とかで事業者自らクオリティを下げることは、もはや悪である。

どんどん平均化されてつまらなくなる事業者のコンテンツたち。

どうも、fkdです。

今回は自分への戒めも込めたエントリーです。

事業者側にいてコンテンツ作りやプロモーションをするときに痛感するのは、

  1. とにかく他部署への確認が多くて時間がかかる。そして確認に回せば回すほど言いたいことが平均化される
  2. 運用タスクが多くて増えるのを極端に嫌うので、これまた言いたいことが平均化される

という問題があること。

そして時が経つにつれて、担当者は『上記3つの手間を無くすために、そもそも平均化されたものしか作らないようにしてしまう』という問題もあること。

ここでいう平均化というのは、【言っても当たり障りがない内容になる】、という意味です。波風を立てず、気持ちも揺さぶらずに表現する。つまり、なんてことない内容になりつまらなくなってしまうのです。

これは、事業者として悪に等しい行為です。今回は、この事業者が抱えるコンテンツの平均化について書いてみます。

なぜ悪なのか?

言いすぎやろ、と思う方もいるかもしれませんが、僕は本当に駄目なことだと思っています。

事業者は、ユーザーにとって便利だったりお得になる内容は、お金を頂いている以上伝える義務があり、それを伝える努力をしないのは義務履行違反になると思うのです。

僕は上記のよくないスパイラルに入らないために、以下のような対策を練っています。

対策(1):確認してもらわない。自分で確認する。

上記1つ目の問題に対するアンサーですが、確認が多くて、確認すればするほど平均化されるのであれば、そもそも確認なんかしてもらわなければいいのです。

もちろん、法律、業法に当たる部分だとか、嘘が入っていてはいけませんから、最低限の確認は必要なので然るべきメンバーに確認してもらいましょう。

しかし他人が作ったものの確認という行為自体、大抵『グレーな表現は極力失くす』という発想になりますから、それ以外のことはコンテンツの制作者(つまり自分)が責任もって監修し、なるべく確認する機会を減らすようにしないと記事の平均化は防げません。

僕の場合、違反にならない最低限の線引きはしつつ、できる範囲の最大限使える自己の裁量で確認を実施し、コンテンツ制作やプロモーションを実施するようにしています。

こうすると、

  • 自分の確認が多くなる
  • 誰のせいにも出来なくなる

というデメリットはあるのですが、ユーザー視点にかなり近い表現ができるようになり、スピード感も早まって結果も出すことができていると思います。

対策(2):運用タスクを増やしたら、自分で巻きとる。

次に、2つ目の運用タスクを増やさないようにしがちという問題に対するアンサーですが、これは自分で巻きとる他ないです。

どこの会社も定常の運用タスクは常にいっぱいです。そこにコンテンツの運用や新たなコンテンツの制作など、新しいことを追加しようとしたら当然反発は起こります。僕が運用担当だったら絶対嫌がりますし。笑

しかし、運用が増えるからといってお客さんが最も欲しがる鮮度の高い内容を載せないのは良くないです。

だから、自分で制作する分の運用は別出しで見込んでおく、つまりコンテンツ制作の決裁を取る段階で運用の分も含めておくということです。こうすることで、何人にも邪魔されることなく運用できます。

自分の責任範囲と仕事が単純に増える、ということではない。

上記の解決策はあたかも『結局自分で全部やる』と言ってるように感じるかもしれませんが、そんなことはありません。

もちろん、初動はかなり負担があります。コンテンツで表現したいことの知識を自分でつけないといけませんし、それを制作者にもしっかり伝えないといけません。

しかし、コンテンツを作る際、そのコンテンツの中身が正しいのかどうかの判断が自分でできるようになれば、結果、コンテンツのクオリティがあがります。そして、わざわざ確認をとり、それを待つという手間も時間も無くなります。

運用タスクの網の目をかいくぐり公開までの時間を無駄に待つ必要もなく、施策のスピードが早まります。

結果的に、コンテンツやプロモーションで言いたいことも言えるし、制作やPDCAのスピードもあがるという、ポジティブなループが生まれるのです。

社内にも粘り強く伝えなければならない。

とはいえ、理想とは裏腹にまだまだコンテンツを作る際は確認をしなければならないケースは多いです。

最近も担当と折衝する機会は多いですが、その時は『本当にそれでいいのか、ユーザーに一生懸命伝えなくていいのか』ということをしつこいくらい伝えます。

はっきり言ってウザイやつと思われているかもしれませんし、よく喧嘩の手前くらいになります。笑 でも、絶対に続けます。おれっちは負けへんで。

 

最後に、ベンダーの方にお願いしたいのは、もっとユーザー側の気持ちを事業者に積極的に伝えてほしい、ということ。

『ユーザーはこういう情報を求めているのに、御社都合で端折っていいんですか!!!』

ということを、本気で伝えてください。ユーザーが求める内容がないコンテンツをリリースすることは、繰り返しになりますが悪だと思います。

なんかホワイトデーにマシュマロが溶けそうなくらい暑苦しい記事になりました、失礼しました。笑

それでは、んちゃ。

3.10以前の生き方、3.12以降の生き方から思う。日々に恋をする生き方をしようって。

3.11から七年。

震災から早くも七年が経った。あの日の記憶はたしかに心に刻まれている。

 

3.10、震災前日までの生き方といえば、浮き沈みはあれど『明日も当然同じ日常来るものだ』と決めつけて過ごしていた。一瞬で無くなり得るものなのに。 

 

3.12、震災から次の日の生き方は、まるでそれまでとは違った。日々余震に怯え、落ち着いたあともどこか明日に不安を感じながら生きている。

 

3.11を境に、僕らの生き方は上記の通り大きく変わったのだが、『未来について何も考えない→未来を不安に思う』という具合に、急に変わりすぎてしまったのではないだろうかと思う。

1日1日を限りなく楽しむ快楽主義と、明日の不安を取り除く不安主義の間。

僕達は3.10以前の生き方を改め、1日を後悔のないように生きなければならないことを悟った。

家族や友達に言いすぎてしまったとき、明日は会えないかもしれないから、今すぐ謝るようにしたほうが間違いなくいい。誰かの為になりそうなことは、やってあげたほうがいい。

というように、明日死んだ時に後悔しそうな選択肢はなるべくつぶしていく。快楽主義ととらえられてしまうかもしれないけど、そうしなきゃいけない。

 

しかしながら実情は、3.12以後守り重視で、とにかく明日の不安を取り除く生き方のウェイトがかなり高くなってしまった気がする。快楽主義はむしろ悪と捉えられる節すらある。

 

『明日の不安を除きつつ、今日をMAXに生きる』という絶妙なところの追求 ― 快楽と不安の両取り ― が重要なはずであるのに、そのバランスはあまり考えられていないのかもしれない。

 

快楽と不安の両取り。

それはまるで、恋をすることに似ていると思う。

自分の日々に、楽しくなってもらう。幸せになってもらう。

恋をした時、あなたはどうするだろう?尽くしたい人もあれば、愛されたい人もいるだろう。

 

こんなことをやったら嫌われてしまうんじゃないだろうか?という未来への不安をもちながら、ドキドキしつつ濃密な時間を過ごすためにプランニング。そして、デート当日はジェットコースターのように一瞬に過ぎる時間。もちろん、その恋を継続するための工夫やケアは怠らないようにする。

 

毎日、日々と自分がこんな風な関係で、こんな風に過ごしたらさぞかし楽しいはずだ。想像するだけでも楽しい。

 

果たして、『あなた』は、今『日々』に恋しているかのように過ごしているだろうか。

『自分の今日』に満足させられているだろうか?『自分の明日以降』に対し、幸せなプランニングはできているだろうか?誰かと過ごすことが好きなら、億劫かもしれないけどいますぐ連絡を取った方がいい。ひとりが好きなら、ひとりの時間が最良になるアプローチを考えた方がいい。

もちろん恋は楽しい事ばかりではない。気持ちの上がり下がりはあるし、つまらない時だって沢山ある。その不安を取り除こうとするのは当然必要だが、その先の幸せな時間を想像しなければやってられない。

備えはあったほうがよい。しかし今日が曖昧になってはいけない。

明日地震がまたくるかもしれない。その日に備えて当然対策はすべきだ。

しかしそれに囚われて自分の日々を大事にできないのは、3.11の経験が生かされていない。

明日に必要以上に支配されず、今日を曖昧にしない。七年経過した日、僕はそんなことを改めて思った。

んちゃ。

子育て世代のフラリーマンとその奥さん達に告ぐ。フラリした・された日々を後悔する前に直すべき3つの修正点。

フラリーマンについて、子育て好き男子が語ってみる。

どうも、fkdです。

去年の秋くらいから、フラリーマンという言葉をちょくちょく聞くようになりました。最近でもまたニュースになってましたのでみなさんご存知かもしれません。

フラリーマンの陰で泣くワンオペ妻 息抜きVS甘えすぎ:朝日新聞デジタル

フラリーマンを念の為に復習しておくと、まず言葉の産まれですが、

社会心理学者の渋谷昌三さんが2007年の著書の中で、家庭を顧みず居場所を失いふらふらするサラリーマンの姿から名付けた。

そして、フラリーマンになる理由はたくさんあるみたいですが、最近では主に男性育児参加の文脈で使われることが多いようです。

  • マイペースに過ごせる時間が欲しい
  • 寝かしつけのタイミングで帰りたくない
  • 家事の邪魔をしたくない

という理由でフラリーマン化するとのこと。上記の理由が何一つまともな理由ではないことは明らかですが、僕の周りにも正直沢山います。

しかし、家に帰れるのに帰りたくないというのは異常事態ですよね…。そして、職場にも家庭にも居場所がないのはある意味可哀想なのかもしれません。

前置きが長くなりましたが今回は、子育て文脈でフラリーマンになってしまう原因と、それの解決法について、子育て好き男子がまとめてみます。

旦那と奥さん両方が被害者意識をもっているのが原因。

旦那「帰っても肩身が狭い。帰っても子育ての戦力になれない。仕事で疲れてるのに、家事もやらされる。」

奥さん「帰ってこられるのに帰ってこないなんて有り得ない。戦力になるかならないかは別にして帰ってきてほしい。」

両者の言い分は大抵こんな感じです。

なんか両者の言い分はわかるような、全然わからないような感じなのですが、両者の認識の違いが凄まじくあることは間違いないです。

この状態は、旦那も奥さんも『被害者』の気持ちになってしまっていると言えます。

さらに、被害者から状況を改善するように仕掛けるのは違うという意識があるため、状況は悪化する一方です。

解決方法は至極単純。尊敬、実践、意識の変化の3つだけ。

この状態の解決方法は、お互いがお互いのモヤモヤしているところを認めあい、認めあっていることを表現するだけ、です。

そこで、一応少しはやれている経験者としてそれぞれの立場で3つずつ、

  1. 尊敬
  2. 実践
  3. 意識

に分けて、具体的な行動を書いてみます。

奥さんがやるべきこと3つ。
  1. 尊敬:旦那さんが早く帰ってきてくれたこと自体を褒めてください。もしかしたら、白い目で見られながら帰ってきてくれたのかもしれません。帰ってくるのが当たり前とは限りませんから。
  2. 実践:お手伝いしてくれたことがどんなに些細なことでも褒めてください。
  3. 意識:少し間違っていたとしても、優しく終わるまで見守り、正しいやり方を優しく教えてあげてください。
旦那さんがやるべきこと3つ。
  1. 尊敬:子供が小さいうちは、マイペースに過ごせる時間は奥さんにだってほぼないと認識しましょう。トイレにすらまともにいけないのですから。俺は仕事で疲れてるからマイペースに過ごせる時間が欲しい、なんて思わないでください。
  2. 実践:間違っていたとしても、やり方がわからなくて怖くても、とにかくチャレンジしてください。
  3. 意識:貴重な時間は今だけなので、コーヒーを飲んで帰るなんてこと自体勿体ないと自覚してください。
二人でやること3つ。
  1. 尊敬:感謝の想いは常日頃から伝えあいましょう。口に出さないとわかりませんから。
  2. 実践:たまに1人ずつ好きなことをやれる、1人の時間を作りましょう。お互い、その間は何をしているか、誰に会っているのかは知らないくらいでもいいでしょう。
  3. 意識:どちらがどれだけやったのかの比較をしないようにしましょう。お互い出来る範囲で最大できることをすればいいのです。

どれも大事で、ひとつでも上手くいく時はあるけど、旦那がやるべき3つは全てマスト。

上記でどれが大事か考えてみたのですが、結論全て同じくらい大事です。なので、ひとつだけ実施しても良くなることもあるかもしれません。

しかし、旦那さんがやるべきこと3つは、全てやらないといけないです。ひとつでも欠けると成功する絵が見えてきません。それくらい、フラリーマンが変わるには足りていない要素が多い気がします。

そして、正直、男性側はマジョリティに流されない強い意志が必要なのかもしれないですね。そこがないと、3つのやるべきことはひとつもなし得ないです。

フラリーマンを無くすために。自分や旦那がフラリーマンにならないために。

さて、いかがだったでしょうか。僕なりにフラリーマンの解釈と解決法を書いてみました。少しでも参考になったり、何かのヒントになれば幸いです。

というか、子どもが小さいうちは十数年と限られていて、幼少期に限れば数年。それでいて子どもは1日でも劇的に成長するものですから、フラフラしているのは本当に勿体ないんですよね。

それに尽きる。とにかく勿体ない。エントリーのタイトルにもしてますが、後悔する日を迎えないためにも子育て文脈のフラリーマンなんて撲滅させたい。

また、フラリーマンになるならないは別にして、上記にまとめたことはどんな子育て世帯でもやるべきことです。

僕も反面教師として、しっかり意識して子育てと仕事の両立をしていこうと思いました。

それでは、んちゃ。

『恩与え』と『恩返し』の話。

どうも、fkdです。

ちょっと小話チックなエントリーにお付き合い下さい。

『恩与え』と『恩返し』。 

僕は人のために何かやる時、恩を与えると、いいことが返ってくることがある、と思ってやることが多いです。これを『恩与え』と名付けてこのあとの話を進めます。

恩与えのスタンスを少し解説すると、『恩が返ってくるのを期待しているからやる』というわけではなく、実際どれくらい返ってきているのかはさっぱりわかりませんし、本当に期待してませんが、とにかく恩に感じてもらえるようなことをするようにする、という感じ。

一方、人によっては『恩は返すもの』という考えの元仕事をしている方もいます。この場合は、その言葉の通り恩を受けたということがフックになって『恩返し』をするわけですね。

この、恩与え派と恩返し派って、意外とパッキリ分かれると思います。みなさんはどちらかというと、どちら派でしょうか。きっと、恩返し派が多いのではないでしょうか。

世の中、恩与えがあるから恩返しがあるのに、恩与えの地位は低い。

恩返しは言わずもがな、超一般的な考えであり、一般的な言葉です。

しかし、恩与えという言葉は辞書には載っていない。恩に着せるとか、恩恵を与えるとか近しい言葉はあるのですが、『恩着せがましい』なんてネガティブなニュアンスだし、『恩恵』なんて大げさで全然違います。

つまり、恩与え自体あまり良くない概念、大げさな行為としてとらえられているのかもしれません。

恩を与えるなんていうのは上から目線だし、恩かどうかは人それぞれだから押し付けがましく映るからでしょうか。

初めに恩与えがなければ、恩返しは存在できないのに、毛嫌いされているのには個人的に違和感を覚えます。

恩与えは、いやらしい行為ではない。

相手が恩に思いそうなことを積極的にやることは、悪いことであるわけがないです。

見返りを求めることはしない。けど、その人は、いつか自分にいいことをもたらしてくれるかもしれないから、お手伝いする。

『それって、結局いやらしくない?』

と思われるかもしれませんが、僕らは神ではないので、常に与え続けるだけではつまらな過ぎて生きていけません。

そして、別に相手が恩に思わないことを頼んでくるのって、こちらが舐められてるか、意味の無いことが大半なのです。

「それって、何のために、誰のためにやるのでしょう?」

冷たい言葉かもしれませんけど、これに答えられない時ってやっても意味が無い時がほとんどです。 こう考えると、恩与えというスタンスはわりとロジカルな風にも思えます。

恩与えをするときには、恩返しは期待してはいけない。

恩与えで重要なのは、恩与えをした後に別に何ももらたしてくれなくても、何も思わないということ。

少しでも感情を入れると、何も貰えなかった時に、つまらない、いらつく、理不尽だという無駄な感情が発生してしまいます。

むしろたいてい、恩返しされることはないのかもしれません。けれど、頭の片隅の、深層心理では覚えていてくれています。

恩返しも、恩与えも尊い行為である。

恩返しが偉い、恩与えが偉いということを言いたいのではなく、どちらも素晴らしい行為であると思います。

恩与えと、恩返しで世の中はできている。

恩与えの話、みなさんはどう思いましたでしょうか。このエントリーで、恩返しは期待していません。笑

それでは、んちゃ。

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