『恩与え』と『恩返し』の話。
どうも、fkdです。
ちょっと小話チックなエントリーにお付き合い下さい。
『恩与え』と『恩返し』。
僕は人のために何かやる時、恩を与えると、いいことが返ってくることがある、と思ってやることが多いです。これを『恩与え』と名付けてこのあとの話を進めます。
恩与えのスタンスを少し解説すると、『恩が返ってくるのを期待しているからやる』というわけではなく、実際どれくらい返ってきているのかはさっぱりわかりませんし、本当に期待してませんが、とにかく恩に感じてもらえるようなことをするようにする、という感じ。
一方、人によっては『恩は返すもの』という考えの元仕事をしている方もいます。この場合は、その言葉の通り恩を受けたということがフックになって『恩返し』をするわけですね。
この、恩与え派と恩返し派って、意外とパッキリ分かれると思います。みなさんはどちらかというと、どちら派でしょうか。きっと、恩返し派が多いのではないでしょうか。
世の中、恩与えがあるから恩返しがあるのに、恩与えの地位は低い。
恩返しは言わずもがな、超一般的な考えであり、一般的な言葉です。
しかし、恩与えという言葉は辞書には載っていない。恩に着せるとか、恩恵を与えるとか近しい言葉はあるのですが、『恩着せがましい』なんてネガティブなニュアンスだし、『恩恵』なんて大げさで全然違います。
つまり、恩与え自体あまり良くない概念、大げさな行為としてとらえられているのかもしれません。
恩を与えるなんていうのは上から目線だし、恩かどうかは人それぞれだから押し付けがましく映るからでしょうか。
初めに恩与えがなければ、恩返しは存在できないのに、毛嫌いされているのには個人的に違和感を覚えます。
恩与えは、いやらしい行為ではない。
相手が恩に思いそうなことを積極的にやることは、悪いことであるわけがないです。
見返りを求めることはしない。けど、その人は、いつか自分にいいことをもたらしてくれるかもしれないから、お手伝いする。
『それって、結局いやらしくない?』
と思われるかもしれませんが、僕らは神ではないので、常に与え続けるだけではつまらな過ぎて生きていけません。
そして、別に相手が恩に思わないことを頼んでくるのって、こちらが舐められてるか、意味の無いことが大半なのです。
「それって、何のために、誰のためにやるのでしょう?」
冷たい言葉かもしれませんけど、これに答えられない時ってやっても意味が無い時がほとんどです。 こう考えると、恩与えというスタンスはわりとロジカルな風にも思えます。
恩与えをするときには、恩返しは期待してはいけない。
恩与えで重要なのは、恩与えをした後に別に何ももらたしてくれなくても、何も思わないということ。
少しでも感情を入れると、何も貰えなかった時に、つまらない、いらつく、理不尽だという無駄な感情が発生してしまいます。
むしろたいてい、恩返しされることはないのかもしれません。けれど、頭の片隅の、深層心理では覚えていてくれています。
恩返しも、恩与えも尊い行為である。
恩返しが偉い、恩与えが偉いということを言いたいのではなく、どちらも素晴らしい行為であると思います。
恩与えと、恩返しで世の中はできている。
恩与えの話、みなさんはどう思いましたでしょうか。このエントリーで、恩返しは期待していません。笑
それでは、んちゃ。